史跡めぐりウォーク「保土ヶ谷の工場跡、古刹と禅道場を訪ねる」

天王町駅前公園

 旧帷子橋(新町橋)のモニュメントがある。旧東海道が帷子川を渡る橋で保土ヶ谷宿を代表する風景で広重も浮世絵に描いている。長さ27m、幅  5.4mで宿場が開設されて45年後大改修があり新しく作られた橋で新町橋とも呼ばれた。安藤広重、葛飾北斎の浮世絵がある。昭和30年代まで帷子川は天王町駅の南側を流れていたが改修され北側に移動している。

ビジネスパーク

帷子川の沿岸は保土谷化学等の工場があり保土ヶ谷工業地帯であった。日本石油の前身も保土ヶ谷にあった。明治26年東京麦酒がビール工場を建設し操業、明治40年大日本麦酒が買収し保土ヶ谷工場となりビール、シトロンを製造する。大正5年ビール、サイダー瓶を製造するようになり昭和11年日本硝子となり国内最大の製瓶工場となる。昭和60年操業を停止し埼玉県に移転する。

昭和63年YBPの起工式が行われ平成2年NRIタワーが竣工する。

神明社

保土ヶ谷カトリック教会

大仙寺

 創建は平安時代の古刹、応永年間(1400年頃)に法印鎮淳が再興、元禄14年(1701)本堂、山門を再建する。「伊勢山皇大神宮」の別当を務め「菊の紋章」がある。

本陣、脇本陣等保土ヶ谷有力者の菩提寺。

宝林寺と東輝庵

 古くは久良岐郡永田村で保土ヶ谷宿助郷村。江戸時代中期から明治12年に宝林寺に統合するまで永田山東輝庵という禅の修行道場があった。奥州・小野出身の月船禅慧が東輝庵を開きその後37年間禅道場となる。臨済宗の名僧で入門希望の雲水が多数押し寄せ鎌倉・円覚寺を始め全国の寺院の住職となっている。永田村は月船の号にちなみ武溪の地と呼ばれた。